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自転車で楽しむライフスタイルラボ
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●轟町中学校区

【実施概要】

  • 2018年3月24日、千葉市稲毛区の轟町中学校の学区で実施。

  • 中央ろうきんの地域貢献プログラムの一環として活動を行いました

  • 参加者は6人。各人が対象となるエリアを自由にポタリングしてもらいました。

【レポート】

  • 轟町中学校の学区は、稲毛区と中央区またがるほぼ平坦な土地で自転車には大敵のキツイ坂はほとんどありません。エリアの目安としては、東は千葉都市モノレール、西はJR総武線、北は国道16号線、南は「千葉公園/護国神社」。東西南北に目印となる通りや交通機関が通っており、迷子になることはなく安心してお散歩できるでしょう。

  • 近世までこの地域には、房総諸藩の参勤交代路として使われた「房総往還」と呼ばれる街道が南北に走っていました。現在モノレールが走っている道で、道標となる石仏などの名残が残っていますので、ぜひとも探してみてください。

  • 明治の地図を見ると、「房総往還」から海側にかけて松の生えた緩やかな丘が広がっていた様子が読み取れます。その名残でしょうか、轟町には百メートルほどの松並木が続く道が残っています。また「松波」と呼ばれる地名は、起伏のある土地を覆う松林が、打ち寄せる松波の形状を呈したことから命名されたともいわれています。

  • 北の穴川方面は、戦後の住宅地建設が比較的早く行われた地域ですが、生活道路には袋小路や辻などが至る所にあり、ダンジョンといっても良いくらいです。ブラブラしながら道に迷う楽しみを実感してみてください。また、京葉工業の裏手には、谷津の地形を生かした作られた小園公園があり、宅地のオアシスとしても大変気持ちが良い場所です。

  • 明治末期、お隣の千葉公園を中心に陸軍の鉄道連隊の施設が作られました。千葉公園内のトンネルが有名ですが、このエリアにも敷設されていた線路の痕跡をたどることができる道路(ヒントは緩やかなカーブ)や軍施設跡(千葉経済大学構内)が残っています。ちなみに「轟町」の由来は、当時、戦車や軍靴の音がとどろいたからと言われています。そのほか、戦災にあったお寺(来迎寺、大日寺)が戦後になってこの地域に移転してきています。

  • 戦争が拡大する昭和17年(1942年)、轟町の西側に、東京帝国大学第二工学部が建てられました。軍需産業技術者の養成を目的として設置されましたが、終戦後は東京大学生産技術研究所となりました。北半分は千葉大学の西千葉キャンパスとして生まれ変わりました。この一帯が現在の「弥生町」になります。

  • 千葉大学のキャンパスは、JR西千葉駅から轟町方面へと行き来する住民の通り道にも使われています。住宅地とは違い、若い学生の様子に元気をもらったり、研究所の見慣れない、不思議な設備に驚くことも多いです。春の桜の季節も素敵です。

  • 桜と言えば、松波町の桜並木も見ごたえがある場所の一つです。歴史ある建物「千葉中央コミュニティセンター松波分室」とペアで訪れてみてください。(W.SHIMIZU)

  •  ※参考文献:「絵にみる図でよむ千葉市図誌」

●轟町中学校区の手書き地図

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